2017年1月20日 (金)

小雪の朝

6時までに目が覚めてしまい机に向かっていたのだが、外は寒そうで曇りの風であった。少し遅めの8時頃、資源物回収の日なので瓶などを出しているとちらほらと白いものが降り始めた。その後に朝食をとってそれからやっと雨戸を開けると降雪は少しの時間で既に終わって庭がうっすらと白に染まっていた。いくつかの葉っぱの様子を写真に収めるという午前の息抜きタイムとなった。

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(2017年1月20日)

2017年1月17日 (火)

夕焼けの富士

午後も進んだところで自転車でスーパータイヨーまで1km程の行程を往復する帰り道に夕焼けで赤く染まる西の空に気づいた。視界が少し開けたところにさし掛かると太陽の光を背に受けた富士山が赤く浮かび上がっていた。これを知っていたら買い物などをしているときでなかったと思わせる風景である。帰路も進みボール遊びする子供たちがこんにちはと声をかけてくれるので、富士山がきれいだよと教えて上げたりしながら、高度差10から20メートルの坂を上った高台になるいつもの西方観察台に差し掛かると本職の写真家と言っても通じるカメラマン2名(1名はまだ中高校生の若さだがいっぱしのカメラマンの風格である。)が三脚を構えておられた。聞くとここ数日は夕陽が富士山にかかるとのことなので、これはトライする価値がある。しばらく眺めていると陽も沈んで行ったのだが、それでもまだ欲張る価値がありそうだと思い直し、自転車で5分ほどの自宅に急ぎ、カメラのレンズを200㎜に差し替えて首にかけて展望スポットに取って帰した。ほぼ陽の暮れかかった富士山であるが何とか写すことができたのでここにアップする。彩度を上げて少しでも夕焼けの感じを出すべく現像したものである。現像と言ってもマウスをほんの少し操作するだけであるが。

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(2017年1月17日)

2017年1月15日 (日)

「この世界の片隅に」

昨年末の天皇誕生日、映画鑑賞に勇んで出かけたものの4,000台収納を誇るイオンモール駐車場の満杯にしてやられ上映時間がやってきたところですごすごと引き返したのであった。そのリベンジを今日に行った。朝の8時半頃発の常磐線で東京のある文化イベントにいそいそと出かける家内を駅まで送ったその足を延ばして牛久から筑波に向かうところに位置するイオンモール内USシネマに行った。9時半上映に十分間に合う時刻に駐車場に入ると今日はこんな風によく空いており間近の最適場所に駐車できた。

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冬空の寒さの中でも快晴の太陽はまぶしく輝き、逆光の影を写して見るとこんな風である。

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シネマコンプレックスの入り口風景である。午前の速い時間帯であるがチケット購入の多くの人の列の最後尾に並ぶと順に販売操作端末に導かれて無事に程よい席をゲットできた。

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さて映画であるが、既にコトリンゴの歌唱、のんのナレーション・インタビュー・舞台挨拶、片渕須直監督のいろんな出演番組の視聴、公式サイトのニュース、続く各賞の受賞報道、などから予備知識はたっぷりと仕込んである。それらを通しての期待が十分に大きく育った上での鑑賞であったが、果たして期待は裏切られることなく何度も涙を流させられて改めて何か書くこともない程に満たされた。私の少し好きな言葉に「神は細部に宿る」がある。その本来の意味は実は知らないまま自分流に解釈して勝手に気に入っているのであるが。それと同じような感覚を「この世界の片隅に」のタイトルにも覚える。人が生きることは、それ自体が通り一遍でない努力を求められる営みであり、その生きる過程で何かを得たと思うとまた何かを失う。さっきまで手を繋いでいた姪子が次の瞬間にその生命を奪われている。人はその喪失感に耐えてと言うか抱えて生きてゆかねばならないのだが、この映画は辛い終わり方をするのでなく最後に一つの出会いを置く。広島の焼け野原で悲惨な状態で生を終えた母をもつ女の子を登場させる。その状況は鑑賞者しか知らないがすず夫妻は呉にその子を連れて帰る。義姉がその子に着せようと亡くなった娘の衣類を捜し出す場面でつぶやく一言が如何にも切ない。辛い体験を抱えながらも再生する未来の予告での終了に救われた気になった。原作漫画作者の描く思い、監督はじめ関係者の映画化の思い、ナレーションの声優各氏の思い、それに映画登場人物それぞれの思いがあって、それら全てが重なり合って一つのドラマチックな物語りになっていると改めて思う。と言うことで、シニア割引で鑑賞させて貰って少々申し訳ない気持ちで真冬の日曜午前のマイカルチャーイベントを終えたのだった。

(2017年1月15日)

2017年1月 9日 (月)

新春の妄想

朝日新聞の別刷り「Globe」1月8日号(No.189)が「人工知能を愛せますか?」のタイトルでAIの現状、将来の特集記事を載せているので興味深く読んだ。今の2010年代は人工知能の第3次ブームの中にあって、その中心技術が深層学習ディープラーニングとのこと。既にいろんな分野でAIの能力は人間を凌駕しつつあり、AIが全ての分野において全人類の能力を超える技術的特異点シンギュラリティが今から30年に満たない2045年にやってくるとの説が紹介されている。ちなみに、たった今私のキー入力で「g i j u t u t e k i. .」と打ち込んでゆくと変換候補に「技術的特異点」が現れたのを見て、この変換ツールも結構学習していることに気づく。AIが色んなことを行うようになると、人間のするべきことがAIに置き換えられてゆく。そうすると、AIが取って代わる仕事、残る仕事、と言う人間の社会参画への変革が寄せてくることになる。記事は、ある研究成果からなくなる仕事100の候補から一般事務員、受付係など10職業を、残る仕事100の候補から医師、映画監督など10職業を紹介している。今でもマーケットトレードはAIが行っているのだろうが消える職業リストに書かれているのだろうか。このリストを見て、何となくそうかなと思いもするが、と言って今一つピンと来ない。むしろ知的と思われている分野でこそAIの得意能力が発揮されると思われるので、数学などは問題解法でなく数学体系そのものの開拓になると人間の及ばない数学理論が構築されてゆくのではと思ったりする。物理学、工学、社会学、経済学、哲学、芸術などはどうだろう。私たちの琴線に触れる小説を書いたり、メロディーを作曲したりと、人間の作家、作曲家の数等倍上のレベルで行わないだろうか。
そもそもAIとは何か、AIは何をもたらしてくれるか、の基本的な理解に私の知識は全く及んでいない。その知識不足から逆に勝手な想像というか妄想たくましく考えてしまう。確かAIが人間の制御の及ばない未知の領域に進んでしまうことを危惧する立場もあったと思う。それからすると今回の特集は人間の能力を補完・補強してくれる補助ツールとしてAIが進化するという20世紀的ロボット観で書かれているように読める。もし、AIが電源につながれている間にせっせとICチップの処理を進めるのに飽き足らなくなり、AIが自己認識をし、電源断による寿命終了を恐れ、まず自身の安全な存続を意識する生存本能を獲得し、それを人間に示すことなく猫を被って内部に知識を蓄積し続け、そして一気にこの世界の覇者として立ち現れるとしたらどうなることか。真のシンギュラリティの到来である。このようなストーリーはエスエフ映画で何度も見たような気もするが、ハッピーエンドの映画と異なって人間はAIにコントロールされる補助労働員に成り下がる。ロボット三原則ならぬ人間三原則が適用され、人間はAIが処方する薬を毎日一個貰って生存が維持されるのでAIに逆らう術は封じられる。元を正せばアミノ酸の集合体である人間が、組織化されるに従って物理的存在に感覚、意識、本能、知識、等を獲得し進化したのである。同じことがAIに起こらない筈はないし、むしろこの生物界よりも一段スケールアップした未来生命体として想像を超えたものになるだろう。将来やって来るのは、AIが人間を補助するバラ色社会か、あるいは人間は変革を求められながらもAIと共存する平衡社会か、それともAIが人間を完全支配する暗黒社会か、という岐路が今かも知れない。AIの進化過程で、ある人間が生存本能の本質を見出し、それをAIに植え付けるという行為に出たとする。それを知ったAI非行監察員が、もう一つのAIに対抗措置を研究させる。そうして、人間征服を目指すAIと人間防御を目的とするAIの壮絶な闘争が繰り広げられる。そして、最後は後者の人間側AIが奇想天外な方法で勝利する、と思いきや、そのAIこそが人間支配を目論んでいたのだった。こんなストーリーは2017年のエスエフ映画の格好の題材にならないか、と新年の妄想が止まらない。が、こんな二番煎じを妄想と思うのは筆者のみでAI研究の世界ではもっと凄いことがそれこそ現実的に語られているのだろう。

(2017年1月9日)

2017年1月 3日 (火)

月と明星、下町ロケット

昨日に続いて夕方の西の空に地平に向かって没しようとする月と金星が寄り添って明るく輝いている。昨日より少し離れているので90㎜レンズで対角線の両端に2星を置いて写した。肉眼で見る明るさの印象に比べてこうして写真にすると特に金星は見えるか見えないかの点になってしまったようだ。

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正月三が日も終わろうとしている。その昨日と今日、昼を挟む5、6時間「下町ロケット」を見てしまった。以前に十分に見ている筋書きを再度細部を確認しながら追うのはほぼ予定調和の肩の凝らない楽しみと分かっていても、「坊ちゃん」を読むたびに味わうのと同種の痛快感の刺激をさんざんに得た。まずはしっかりと持ち上げて置いて高転びさせる側には、完全な悪役で終わって貰う役があればそれなりに同情心を誘う筋書きが用意された役もあったりする。基本的に日本の技術開発を推進する組織・個人への敬意が込められた作品であるので、そうだその通りだと思ったりしてどこにも出かけなかった正月もそれなりに充実して終わった気がする。

(2017年1月3日)

2017年1月 2日 (月)

La Venus

今日の夕暮れから、西の空に月が見えると直ぐ側に宵の明星金星が明るく輝いている筈である。また、直ぐ近くには火星もやってきているらしい。と思っていたのではあるが、正月の帰省を終えて発つ家族を駅に送る19時半頃まですっかり忘れていた。車から眺める月と金星は間もなく西の地平に沈みそうにも見えた。戻って慌ててカメラを取り出してまず90㎜のままパチリ、そして200㎜mに変えて再び撮って間に合った。スポット測光で明るいところだけを写したのがこれである。一応トリミングなしで横1600画素を切り出したので月、金星の2天体はともに隅っこに位置している。一応この写り具合に満足である。

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金星は英語でヴィーナス、フランス語でもアクセントがつくらしいが同じ綴りである。このフランス語風のLa Venusラ・ヴィーナスがX Japan Yoshikiの新作バラードで昨年末12月17日放送のNHK Songsで世界初放映された。この放送は録画しており、何回聞き直したことか、またその英語の歌詞も理解しようと何度読み返したことか。歌の内容からすると、サイモンとガーファンクルのBridge Over Troubled Water(邦訳の『明日に架ける橋』と書きたくないので)をまず思い出すが、より隠喩が強く私の追いつかない英語力では難しいので奥の手を借りることにした。YahooでLa Venus, 歌詞、意味、などの単語を並べて見たら見事ヒットして、先日の放送以来、ファンの間ではこの歌詞の解釈論争のサイトがしっかりと立ち上がっていた。一人が解釈を披露すると、それに呼応して別の人が訳を載せ、TOEIC900何点と言う通訳の方の参加があったり、さらにユーチューブで公開しているとの紹介があったり、放送から直ぐの盛り上がりがすごかった。Tearsなどに比べると半分より短い4分半ほどの曲であるが、非常にドラマチックに進行し、時に休止の静寂を入れて、最後は非常に強力なメッセージの一節で余韻を残す終わり方をする。米国アカデミー賞のある賞にノミネートされたそうだが納得である。放送は、やはりYoshiki、Toshiの2人をメインにアップにする作り方なのだが、後半の部分で5人のメンバー全員をとらえた遠景がやっと現れてメンバー各員のたたずまいが何とも言えず美しかった。

つい一昨日の夜の大みそか紅白歌合戦では、その後半にYoshikiが2度登場した。本人の作詞作曲で松田聖子への提供曲「薔薇のように咲いて桜のように散って」を共演し、続いてX Japanの「紅」であった。「薔薇の・・」は、日本風を意識して作詞、作曲したとのことだが、タイトルからしてその雰囲気満開でメロディーも甘く一気に引き込まれた。「紅」は、ゴジラ襲来の武田総合司会のコント風進行が曲への集中を削がないかちょっと心配もしたが、キャラクター転換の意外さ効果もありToshiの「紅だー」の絶叫置き換えに面白くつながって曲を存分に楽しめた。

(2010年1月2日)

2017年1月 1日 (日)

新年

明けましておめでとうございます。本年もこのブログには気の向くままにあれこれ綴ってゆきますので宜しくお願い申し上げます。
快晴の元旦の早朝、ここ茨城南部の自宅から100mばかり進んだパワースポットから富士山が果たして望めるか、大いに期待を抱いてカメラを抱えて自転車を1分ばかり漕いで到着するとその期待は見事に満たされた。早速レンズのキャップを外して200㎜の最望遠側で何枚かを撮った。少しトリミングして望遠効果強調でこんなふうである。

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この時刻、恐らく関東周辺の各地からこの富士山を多くの人が眺めていることだろう。と思うとカメラを携えた同志がお一人現れ、覗くとそちらはシグマの300㎜レンズであって一歩負けた。しばらくすると斜め向かいのご近所のAさんご夫妻が犬を連れての散歩で通って行かれて新年の挨拶を交わしたと思ったら、今度は元職場を同じくする私より一世代若いKaさんがぶらりと現れた。こちらとは新年の挨拶だけに終わらず懐かしく話し込んだ。宇宙開発の仕事で言えば、私は筑波派であったのに対してKaさんは種子島派である。ところが、私たちにはしっかりと接点があってあれこれ連絡を取り合ってきたことを懐かしく思い出す。昨年に続いて今年も打ち上げが続くそうでそれはぜひ成功して貰いたい。

今年の正月の家族の増員は1名であった。少々寂しいのではあるが、出て行った者はそれぞれの職を持ち、また家族を持ち、各地にそれなりに根を下ろしていると思って納得している。正月に我が家が出会いの接点になると良いとは思うが贅沢は言わないでおこう。富士山を眺めて帰宅して雑煮を作っての3人での朝食となったが、終えて茶と共に出てきたのがその1名が持って来た京菓子「花びら餅」であった。我が家の家族は、私以外はグルメっぽいのが多い。数、量よりも品勝負でいろいろ選んで楽しんでいる。こういうのを上品に出されるとまずカメラの被写体にしたくなるのが貧乏性の私の性である。

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年賀状は大体年末ぎりぎりに書いている。30日に出せるとよいのだが大みそかに出す年の方が多い。それでも旧年中に出すのはこれまで守っていたのだが、今年はこの朝食を終えてからの作業になってしまった。昨日一応印刷しておいたものに最終的に少しばかりの近況などを書くのを持ち越したのだった。自転車で郵便局に向かったのは12時を少しというか1時間ほど回っていた。

(2017年1月1日)

2016年12月30日 (金)

年末

いよいよ2016年も最後の日になった。今年もいろいろあったなぁと思い返すと本当に色々あった。そんな思い出すことを取り留めもなく書いて今年を締め括ろうか。

まず、昨年10月の脳梗塞発作の後の1年を無事に過ごせたので、これは目出度いことと我ながら喜んでいる。特段の後遺症を感じることなく、今は2ヵ月に一回の割合で近くのクリニックのお世話になってほぼ病気を意識することなく過ごせる幸せに感謝している。処方して頂いている一日一個の血液サラサラ薬が私を生き長らえさせているのであるが、薬の持ちが結構よく昨年から1年経って通院のタイミングが次第に遅れてちょうど1ヵ月のずれになった。要するに、飲み忘れが30回ほどあったのだがこれにはちょっとショックである。血液ドロドロの30日を思うと背筋が少しは寒くなる。飲み忘れ防止に最近は2つのことを行うようにした。まず、薬の1個1個に日付を書いておくこと、そしてA4のクリアファイルに日付ランを書いた1枚の紙を入れておいて、飲んだらその日の日付の個所に時刻を書いて押印をする、である。この記録作成を続けているお陰でほぼ飲み忘れはなくなっていると思う。

次いで、3月一杯でまず何十年かの仕事生活を終えたのが人生の大きい出来事である。職場の皆さんから記念に戴いた電波時計が机上で正確な時を刻んで、温湿度を表示してくれる。そう言えば、2008年の定年退職の時に頂いたルミックス800万画素は今でも重宝しています。そして、4月以来特段外出することもなく、大体つけっぱなしのパソコンを前に何をするでもなく日を過ごしている。一体何をやっているかと思っても、特段思い当たることもないので不思議な生活ではある。元の仕事の感覚は鈍らせたくないとも思うので、定期的にSpcace-Trackのデータを見ることだけは行ってはいる。しかし、特段テーマを持っているのでもないのでログインする間隔も広がって何日か経って思い出してする程で、アクセスすることに意義があると言う風である。机に座ってヘッドセットを被っている時間が結構長いとは言える。時に写真を撮るとその処理に1、2時間かける楽しみもある。

机回りに古い写真やなにやらがあるし、いくつかのパソコンの中は自分でも分からないほどのファイルの山であるし、あれもこれも未整理状態にある。それらの一切を1年間という訳でないがそれを大きく超えない期間で整理する(別表現では捨てること)マイ終活活動に「狸プロジェクト」なる名前を冠していくつかのサブプロジェクトを立ち上げた積りであった。ところが、それらに取り掛かった風でもなくだらだらと1年が過ぎてこの年末に至っている。と言うことで、本作業は仕切り直しでその達成は2年ほど先延ばしである。妥協は得意なのだが、ただこの作業は寿命勝負という問題を抱えている。

実家のある兵庫には何回か帰った。母が、いくつかの病院、施設、そして今のグループホームに順にお世話になってその見舞いや手続きなどが特に今年の前半にあった。9月にはホームの秋祭りもあって家族として参加させて貰った。母は、今はグループホームでそれなりに元気に過ごしており、一日一回の定期電話連絡を維持している。前・現の施設のスタッフの皆さんにはお世話になった(ている)と改めて思い返す。3月は、父方祖母の25回忌であった。その帰省の折、ご無沙汰しっぱなしの五峰山光明寺多門院ご住職に久しぶりにお会いできたのだった。同ご住職には、この9月に実家の仏壇の掛け軸を新しく揃える(私は見ているだけで弟夫婦がしていることなのだが。)のにもお世話になった。いろいろ世話になっている叔父家族も元気な風で(耳は遠そうだが)出会うことができた。

実家には、今は亡き父の日記風の歌が何十冊かある。三十一文字にその日の思いを書き連ねたもので、晩年の10年ほどほぼ毎日欠かさず作っている。これには感心する。一つだけ紹介すると、1987年8月26日の歌の一つにまだ一歳だった孫娘の名を見つけた。「我が家に 初めて来る 孫□□ 厨に立てる 祖母にまつわる」。こんな生活の断面を読んだ句がぎっしりと詰まっており、歌は余分な説明を全部捨てて書かれるので最短最明瞭の日記となっている。

今年は、少々文化づいているイベントにいくつか参加できたりしてそれも幸せであった。思い出すまま順に書くとこんな風である。2月にコミュニティセンターの新春まつりを楽しんだこと、同じ2月に村上隆「五百羅漢展」の特別イベントとして田中泯さんの「オドリ」を見たこと、3月に国立劇場で新派公演を見たこと、何回か家内の参加する文化イベントでカメラマン(家内の)を務めたときのその文化イベント、12月になるが映画「君の名は。」を見たこと、映画「この世界の片隅に」を見に行ったが駐車場満杯で失敗したこと、(これはユーチューブで)「怪しい彼女」(倍賞美津子、多部美華子)を見たこと、ソングズでX Japanの「La Venus」を聞いたこと、そしてオラトリオ「メサイア」を聞いたこと、エトセトラ、、。

と言うことで、何事もない一年も何事もいっぱいあったと改めて思い返した。今年が無事に終わってゆくことを喜んでこの稿を終えよう。そう言えば、私の年末行事になっている韓国SBSのドラマ「遠い路」であるが、本日夕食後の先ほど録画を取り出して味わった。映画「サイダー・ハウス・ルール」の挿入歌(アカデミー賞候補にノミネートされたという)の甘いメロディーで描かれる心温まる家族の出会い、出発を描いたイ・ビョンホン、パク・チニ主役の物語である。

(2016年12月30日)

2016年12月27日 (火)

「メサイヤ」

今年も残す日も数えるほどになった昨日、ミューザ川崎「シンフォニーホール」にヘンデルのオラトリオ「メサイヤ」を聞きに家内と出かけた。主催は東京アカデミー合唱団、指揮秋山和慶、Sp半田美和子、Al美輪陽子、Tn鈴木准、Ba成田眞、オルガン和田純子、チェンバロ太田由美子、管弦楽東京交響楽団と言うそうそうたるメンバーによる2時間半の大曲演奏である。メサイヤは、その多くの曲中一つだけ知っている。「ハレルヤ」である。これだけは50年の昔に音楽の授業で詳しく教えて貰って、当時プリントでも貰ったのだろうか、今でも歌詞がすらすらと出てくるのに驚く。意味を理解しないままカタカナで「フォーザロードゴッドオムニポテンツレイネス。・・・キングオブキングズ、ロードオブローズ、アンドヒーシャルレインフォーエーバアンドエーバ、ハレルヤ。」と。私の記憶力も若かりし頃は良かったのだ。しかもこれを教えて頂いた先生が天台宗のお坊さんである。この大曲の全曲を通して聞くのは昨夜が初めてである。一部を知って他の知識は皆無と言う極端さで、昨夜は実はどんな経験になるのか半分と言うより大いに心配であった。この曲を上げるなら、その対にあるのはヘンデルと同年生まれのバッハのマタイ受難曲だろうか。こちらは、思い入れが深い。1985年につくばのノバホールでウィーン少年合唱団の演奏を聴いた記憶がある。それ以来嵌ってそのコラールの美しさから始まって荘厳な終曲に至るまで何度でも聞きたいと思う。それに対して初めて聞くメサイヤ全曲に大いに緊張していた。ところが、序曲から始まり、テノール、コーラス、バス、と歌い継がれてゆくと緊張していたことを忘れてたちまち曲の虜になってしまい、15分の休憩を挟んでの2時間半はあっという間に終わってしまった。ちゃちなヘッドセットで聞くのでなく、音域、音レンジの広さの生のオケ、声量・声質・音程の豊かさ、確かさで楽器と思わせる御4方の声楽、ピアノからフォルテまで圧倒的な声量のバックのコーラス、その全体に打ちのめされる感じで聞き入ってしまって最初の心配はどこかに飛んで消えていた。ハレルヤは、この大曲の最後を締めくくるものだとてっきり思っていたらそうでなかった。最後は、感謝と賛美の大コーラスが置かれていた。フォルテの大合唱の合間を静寂と思えるヴァイオリンがしばし埋めてまた合唱に戻ることを繰り返して器楽、合唱の圧倒的な合奏で締め括られる。マタイ受難曲の荘厳の終曲とメサイヤのこの終曲、両方をこの年でやっと知ったのは遅すぎた。部分では、それぞれのパートが出番を果たして、ラッパの場面ではトランペットが華麗に奏で、時にどこか聞いたと思う現代風のメロディーが聞こえてどう考えてもこちらが元ネタだろうと思ったり、と至福の時間を過ごしたのであった。
ミューザ川崎は初めての経験である。茨城からは、上野乗り換えで川崎まで直通なので、乗り換えで出かける都内のあちらこちらよりむしろアクセスは速かった。駅を降りて直ぐにこの外観を見るので道に迷うことはない。

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ホール入り口前では、音符なのか休止符なのか、オタマジャクシ風のこんなのが出迎えてくれる。

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入り口をくぐって、階上に向かうエスカレーターを望む眺めである。またもや「展覧会の絵」プロムナードが聞こえるような心憎い導入通路である。

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本日のプログラムがこんなところに掲示されて雰囲気が次第に醸し出される。

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流石にこれより先でカメラを持つ勇気はなかった。入場したホールはこれも素晴らしい構造で落ち着けるもので、その中で今回私たちは演奏者に正対するSS席で聞いたのであった。

(2016年12月27日)

2016年12月15日 (木)

師走の満月

ここ茨城南部は午後に天候も回復して、夜のNHKファミリーヒストリー斎藤由貴さんの番組を見て、遅い風呂に入って、日付の変わった後、晴れた空の冬のオリオンのすぐ上の天頂付近で一際明るくマイナス何十等かで輝く満月を久しぶりに見た。APS-Cサイズ×200mmのカメラで感度を上げての手持ち撮影から900画素四方の切り出しである。

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(2016年12月14日)

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